いのちはずっといのち。~感情と敬意の話~

実体験・レポート

『死』のプロセス。

「じゃ、始めましょうか。」
そんな感じでめぐのお手本を見ながら作業は進んでいきます。
合鴨の羽を折りたたんで胴体を足の間に挟み、頭を掌で覆うようにして首を反らせます。
触ってみるとそこにはしっかりとした気管が通っているのがわかる。
その横に頸動脈が走っています。
そこに包丁の刃をあて、力を込めて一気に切り込む。  

だけど、慣れない私の包丁の刃は羽毛につかまってなかなか皮膚に到達しません。
皮膚に到達しても、その中の筋や気管がしっかりと頸動脈を守っているのでした。
ミシミシと音を立てながら、刃が少しずつ頸動脈ににじり寄る。

4年前、だから「ちゃんとできるように。」と思ったのでした。
時間をかけずに、スッといけるように。

鮮やかな血液が静かに流れだします。
めぐ曰く、合鴨は鶏に比べて血が出切るまでの時間が長いんだそうです。
まだ生きているその体を両手と両膝で押さえながら、じっと待ち続けました。
すると、ここまでずっとおとなしかった合鴨が突然羽をバタバタさせて暴れだしました。
真っ赤な血を流しながら。

…なぜ今?もっと早く抵抗すればいいじゃない!

そう思いました。

でももしかしたら、気管が切り裂かれて血流がなくなったときに初めて「苦しい!」って体が反応しただけなのかもしれない。
反射?わかんないけど。
それも通り過ぎると、ぐったりしてそのまま動かなくなります。

これを見たときに私ね、「あぁ、『死』って終わりがあるのかな。」って思ったんですね。
生まれる時と同じように、『死』にもプロセスと終わりがある。
でもいのちが終わった気がしなかったんです。なぜか。
ぐったりした合鴨の体を抱き上げ、頭をなでて毛並みを整えてやる。
そのいのちに敬意を表したい。そんな気持ちからでした。

 

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