不便であること、道理を手放さないこと。

考え方

ロボットに何をしてもらいたいか。

AIの時代が来るそうですね。
実家に帰ると、家じゅうの床を掃除機くんが自動で走り、そのあとを床拭きくんがうやうやしく磨いて回り、食洗器さんが家族全員分の食器を一手に洗い乾かしておいてくれるようになっていました。

いや~、AIの時代が来るんですねぇ。
…もう来てるの?

考えてみればすでに、掃除は掃除機でするもの、洗濯は洗濯機でするもの、ごはんは炊飯器で炊くもの、でしたよね。
それらが時代とともに進化してきた。

喋ったりなんかしてね。

休まず働くお掃除隊を眺めながら
「家事は全部ロボットに任せて、人は一生懸命働くんだな。」

そんな話になって、「は?」って思いました。
仕事をロボットに任せるんじゃなくって?

家事は瞑想の時間。

仕事を休んでいる間に、ちょっと落ち着いて家事をしてみました。

数年前に買った掃除機の様子がおかしいので、新しい掃除用具を買いました。
ほうき。ちりとり。
超静音、省スペースでコードも充電も不要、ゴミ以外のゴミも出ません。
気になったときにスッと出してきて使えます。
なんならちょっとおしゃれ。

うちのエース。近所のホームセンターで購入。

掃除機では届かなかった隅っこのホコリまでスイスイ取れます。
元気な時は雑巾がけも結構いい運動になります。
ま、そこまできれいじゃなくても大丈夫な質ですが。笑

洗濯物はお日様の下に干して、日のあるうちにしまう。
気に入った服は壊れたら直したい。
何度洗っても色落ちするパンツがあったので、ネットで調べて色止めをしてみました。

そして、料理。
料理って瞑想の一種なんだそうです。

水に触れる。
揺れる火を見る。
クツクツと煮える鍋の音。
トントンと野菜を刻むリズム。
ぬか床をかき回す感触。
湯気とともに漂う匂い。

確かに。

そう思うと、家事全般、『暮らす』ということが瞑想なのかな、っていう気がします。
自分の暮らす環境を自分で整えるということは、自分を大切にするということなのかもしれない。
とても心穏やかな時間でした。

不便益について。

今でもだいぶ穏やかに暮らしていますが、そんな中ずっと読みたかった本をやっと購入して読みました。

不便益という発想~ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも 行き詰まりを感じているなら、 不便をとり入れてみてはどうですか?(しごとのわ)

・・・タイトルね。笑

数年前、『不便益』について先生がひたすら語っている地味すぎる番組に釘付けになりました。

不便であることによって得られるもの。

「運動場の地面をデコボコにしておくと、子供たちは目を輝かせて走り回るんです。」

それを聞いたとき、感覚的にしっくり来て 「おー!あるな、それ( ゚Д゚)」ってなったのを覚えています。

これが2017年にこの本が発行される前で、そのときからいろんな人に「不便益という考え方があるんだよ。」と拡散しておきながら、今初めて本を読みました。笑

この本のちょうど100ページのところに、その運動場のある幼稚園の話が出ています。
そこの園長さんの言葉にまた「それーっ( ゚Д゚)!!」って。

ものごとの道理を理解してもらいたいと思っています。
(中略)
便利さが豊かさだと仮定したら、豊かな時代は、子供の育ちにとって、ものの本質や道理を理解することがむずかしい時代ともいえるのです。

加藤積一『ふじようちえんのひみつ』小学館

私は『道理』ってすごく大事だと思っています。
道理のわからないものが多くて、それがなんだか気持ち悪い。

スイッチ一つでいろんな家事が済んでしまう。
本来のやり方知っておかなくて大丈夫かな?とか。
通販やアプリのレビューを見てても、安くあるいはタダで提供されたものにそんなに文句言っちゃうの?とか。
…え、なんでその決まり作った?とか。

現代的な技術の恩恵にあずかりながらも、常々そう思ってきました。
このブログだって無料で使えるソフトウェアを使ってますが、なんでこれが無料なのかは今調べてなんとなくわかったぐらい。
それでも。

道理を手放さないこと。

なるべく道理を手放さずにいたいなぁ、と思います。
ものごとには道理や原理がある。

「米と水さえあれば煮炊きはできるんだよ。」

お米の炊き方を教えてくれたお米屋さんが言っていました。
炊飯器がなくても、電気がなくても、ガスさえなくても火をおこして米を炊くことができる。
その発想を持てることが、生きる上ですごく大事な場面があると思います。

原理を知っていると、工夫次第でそんなに道具が要らなかったりします。
道具に頼ることで自分のスキルを手放し、結果としてたくさんの道具を持たなければならない。
それってちょっと損な気がしてきた今日この頃です。

道理がわかると物の価値がわかる。

服1着、チョコ1個にどれだけの労力がかかっているか。
必ず誰かが原料を作り、誰かがそれを加工してモノが出来上がる。
安いのはありがたい。有り難い。
有り難いのにまた新しいものを少しでも安く、たくさん欲しい。
道理に合わないことを求めた結果、地球の裏側で誰かが泣いているかもしれません。
これってフェアトレードの話ですよね。
道理がわかると『フェア』ということがわかってきます。

だから、道理を知っていると感謝ができます。

普段使っているものの作られる現場を見て、初めてそれを「尊い」と思うこと、ありますよね。
逆にうまくいかないのにも道理がある。
畑に行って、農家さんが野菜を作っているのを見たり話を聞いていたりすると、やはりそこでできた野菜は『尊い』ものだなぁ、と感じます。
自分でやってみたらなおさら。
自然相手なので、うまくいかないことがあるのもわかります。

物をもらった子供に「ありがとうでしょ。」って言うあれ。
いただけることが当たり前じゃないという道理。
当り前じゃないことに対する感謝が「有り難い」という言葉なんだという道理。
説明してたかな。
…いや考えてもないや。
本当は、わからないうちは無理に言わせなくてもいいんじゃないかとも思います。
経験値がなかったら有り難いかどうかなんてわかりっこないもの。
経験をして、道理がわかると尊さがわかる。
コミュニケーションだって変わってくると思います。

道理がわかると腹が立たない。

何かの理由があってそうなるという道理。
渋滞にも理由がある。
道具がうまく動かないのも理由がある。
人が思い通りに動いてくれないのだって、何かの理由があってのことです。
それが何かわからなくても「理由がある」ということがわかっているだけで腹が立つ道理が引っ込む。

そして、最初にお話しした家事のこと…。

家事の原理や道理を知っているということは、生きることへの自信みたいなことにも繋がるんじゃないかなぁ、と思います。
うつで半分引きこもっているとき、「家事をするといいよ。」とアドバイスをくれた方がいました。
確かに、料理をしたり洗濯物を干したりしていると落ち着く。
当時はボタン一つの家事が多かったので、今のように煮炊きをしていたら生きることへの不安をもっと取り去ることができたんじゃないかと思います。
家事は瞑想と同時に暮らす技術であったということ。
道具をたくさん手に入れなくても生きていけるとしたら、現代になってできた様々なハードルを越えなくても済むんじゃないかな。
お金とか、仕事とか、体裁とか、社交辞令とか、流行とか…。

ソーセージ作ろう。

2015年に加工肉の発癌性についてWHOの発表がありましたよね。
加工肉は自分で作るのは難しいと思っていたから『買う』という選択しかありませんでした。
できたものを買う便利の代わりに発がんのリスクを背負っていた。
私は母を早くに癌で亡くしているので、この発表はなかなかの決定打になりました。
そこで、ソーセージが好きな私は思ったのです。

作るしかない。

…作ればいいじゃない(o´艸`)

このマインドがあると、とても身軽。
幸い一度だけ友人に教えてもらってみんなで作ったことがありました。
これなら自分でできるはず。
安全なものを探し回るのも、メーカーを信じて市販品を使い続けるのも、諦めて我慢するのもいいと思います。
けど、 不便を取ってオリジナルのソーセージを作っちゃうのもいいですよ♪
そこには『瞑想』『実感』『安心』『オリジナリティ』『上達』『ありがたみ』他にもたくさんの『益』が詰まっています。

不便で自分を取り戻す

本の中にも書いてありますが、不便益は「昔はよかった!」という懐古主義ではなく、便利なのも大事。という考え方です。
進化の過程で行き過ぎたものを少し戻してみよう。
自分の中にあった能力を取り戻すような考え方でもあると思います。
原始人にはなれないけど、「ないなら作ればいいじゃない!」って笑っていられる自分でいられたらいいなぁ、と思います。
それぞれの得意を持ち寄れる仲間と共に。

この本の中には他にも、
・「する必要がない」が「させてもらえない」になる
・安全と安心は相容れない
・人に残されるのは創造的な仕事、って本当?
などなど、ハッ!とするトピックが満載です。
『不便益』という言葉、少しずつでも浸透させていきたい(^^♪

ちなみにこの本の著者である川上浩司先生は、京大の『素数物差し』の開発者なんだそうです(^^)

コメント

  1. […] 数年前、WHOから加工肉の発がん性についての発表がありました。それをきっかけに私がソーセージを作り始めた話は、以前このブログで書いています。不便であること、道理を手放さないこと。 […]

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