責任と責任感。

考え方

ここ数年、イベントや学校サポート、仕事でたくさんの親子を見るのですが、その中で『責任感』の強い親御さんが気になるようになりました。
そんなわけで、参院選の迫る今、『責任』と『責任感』について思いを巡らせてみましたので書いてみますね。

田んぼで泥遊び。

いつかの田植えでのできごと。
田植えをしている横の田んぼが解放され、最初はモジモジしていた子供たちが少しずつ遊び始めました。
徐々に遊びが盛り上がってバシャバシャと泥を飛ばす子が出てきました。
これから始まる自由な遊びにワクワクする私。

その瞬間…
その子の親御さんが畦から「そんなことしたら周のりの子にかかるでしょ!」と。
別の方向から見ていた私は、つまんな~い。とちょっと興ざめしてしまいました。
ヤンチャっ子大好き( ´∀` )

個人的には、それで泥がかかって遊びにエンジンがかかる子もいるだろうし、嫌なら遠くで遊ぶという知恵を発揮する子もいると思うんです。
安全に遊ぶ知恵は遊ばないと身につかないでしょ。
その感覚を養う貴重な機会なんじゃないかとも。
そのイベントがそういう風土だったこともあります。
だけど親御さんの考えも理解はできる。

責任感ってなに?

責任感っていう言葉、私も最近すごく使うんですが、すごく曖昧だったりもします。
辞書で見ると、『自分の仕事や行為についての責任を果たそうとする気持ち。』とあります。
では、責任とは?
『立場上当然負わなければならない任務や義務。』
『自分のした事の結果について責めを負うこと。』

私の感覚では、責任感というのは『受け入れがたい結果について責めを負うという認識』のことかな。という感じがします。

ではその責任感をどう全うするか?といったら、2つのパターンがある気がします。

1.受け入れがたい結果を受け入れて真摯に対応する。
2.受け入れがたい結果が起こらないよう慎重に行動する。

上の例の親御さんは2.の例ですよね。

受け入れる責任。

ここで、教室の保護者面談でのエピソードを紹介します。
あるお子さんは、宿題をやってこないので思うように進まず、教室での学習も身が入らない状態でした。
そのことをお話ししたときに、親御さんは
「言ってもやらないというのもあるけれど、私は家であれこれ言わない方がいいと思っています。」とはっきりおっしゃいました。
私はこれを聞いたとき、かっこいいなぁ。素敵だなぁ。と思いました。
「この子のせいで言わなくなった」のではなく、「自分の考えで言わないようにしている」とはっきり言える親の個、子の個。
それを受けて、重点を変え進めることと目標より進度が遅くなる可能性が高いことをお伝えすると、しっかり受け止め納得してくれました。
現在、その子は教室で少ない枚数を少しでも吸収しようという集中力がうかがえるようになりました。

これって実は1.のパターンで、進度の遅れを受け入れた上でその先のことを見ていく考え方だと思うんです。
実際その先をどうお考えか詳細にはわかりませんが、私はこの教室がこの子の人生で何かのプラスになると思って日々接しています。

選挙が来ますよ。

さて、今日が2022年6月24日。
7月10日の参院選が迫ってきました。
私はといえば、やっと家族で「選挙どうする?」とフランクに本音で話せるようになってきたところです。
そんな中で、やはり責任感のある人に政治を担ってほしいというのは変わらぬ希望ではありますが、少しその責任感の発揮の仕方にフォーカスしてみたい気持ちになりましたよ。

受け入れがたい結果を受け止めて責任ある行動ができる人?
受け入れがたい結果が起こらないよう慎重に行動できる人?

やっぱり流れを見ていないとわからないなぁ~。と、選挙が迫るたびに思うのでした。
参加したい気持ちは結構強めなんだけどね、トホホ…。

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